
あの火災のあと、業界も視聴者も京アニにずっと優しかった。新作が遅くても待つし、何か引っかかることがあっても「あれだけのことがあったんだから」と飲み込む。それは自然なことだし、あって当然の支えだったと思う。
ただ、同情と作品の評価は別の話だ。企画の判断がおかしい、原作の扱いがひどい、商売の方向がずれてきた。そういうことまで言いにくくなるのは、やっぱり違う。ずっと守られてきたせいで、京アニ自身も信じてもらえることに慣れすぎたんじゃないか。
自信を持つのも無理はない。『けいおん!』は大胆に変えて当てた。『中二病でも恋がしたい!』もそう。『Free!』は話を広げ、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は丸ごと組み直して結果を出した。これだけ続けば、「原作は素材。うちがやればもっと良くなる」と思うようになっても不思議じゃない。
昔はそれでよかった。本当にそれだけの力があったから。でも企画力や判断力が落ちてくると、同じ自信がただの傲慢に見えてくる。
『二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-』で一番腹が立ったのは、まさにそこだ。改変するなとは言わない。でも今回の変え方は、原作にこう言っているように見える。
明治の京都? それじゃ売れない。 本物の歴史の空気? アニメ映えしない。 じゃあスチームパンクにして、パラレルワールドにして、財閥との追いかけっこも入れて、「ユーレカ・エヴリカ」を付けよう。 はい、これで京アニの新作っぽくなった。
原作者からしたら、笑うしかないだろう。しかもこの原作はKAエスマ文庫、つまり京アニ自身のレーベルから出た本だ。自分たちで見つけて、自分たちで出版して、アニメ化も約束した。なのに最後は自社の原作すら信じず、タイトルとキャラクターの外側だけ借りて別物にした。それなら、原作付きと名乗る意味はどこにあるんだろう。
「罰が当たった」とまでは言いたくない。そんな言葉を使わなくても、答えはもう数字に出ている。『CITY THE ANIMATION』の円盤は500枚ちょっと。『電氣目録』も、第1話の映像がいくら綺麗でも、話が持たなければ改変への批判はそのまま返ってくる。
京アニを応援したい気持ちは、今もみんな持っていると思う。ただ「京アニが作るなら間違いない」とは、もう前ほど言い切れなくなった。