タイムライン
タイムライン京アニは今も尊敬に値する。だが、無条件の信頼はもう過去のものだ。

京アニの火災後、業界と観客は彼らを特別に保護してきた。待つこと、遅れを許すこと、復興を支えること、そして多くの問題を「大変な状況なのだから」と受け入れること。それは自然な感情であり、当然の対応だった。
しかし問題は、同情が創作における免罪符になってはいけないということだ。
もし一つの会社が大きな災害を経験したからといって、観客がその企画判断を批判できず、脚色の倫理を疑えず、商業的な方向性が間違っていると言えないのだとしたら、それは危険だ。京アニはもちろん尊敬に値するが、そのすべてのアニメ化が常に正しいわけではない。彼らは信頼されることに慣れすぎてしまったのかもしれない。
過去の京アニは実績が突出していた。『けいおん!』を大胆にアレンジして成功させ、『中二病』を魔改造し、『Free!』を拡大解釈し、『ヴァイオレット』を再構築して成功させた。
だから社内には、『原作は素材にすぎない。我々京アニがやれば、もっといいアニメになる』という慣行が根付いたのだろう。
その自信はかつて実力の証だったが、企画力や判断力が衰えれば、傲慢に変わる。
『電氣目録』の腹立たしい点はまさにここだ。改変が悪いのではない。あまりにも傲慢にこう主張しているのだ── 君の明治京都では売れない。 君のリアルな歴史の空気はアニメ向きじゃない。 俺たちがスチームパンクを加え、パラレルワールドを加え、財閥の追跡を加え、“ユーレカ・エヴリカ”を加えてやる。 これでようやく京アニの新作らしくなる。
原作者にとってはまったく馬鹿げている。原作そのものがKAエスマ文庫の作品であり、京アニ自身が発掘し、出版し、アニメ化を約束したものだ。それなのに、最後には自社文庫の原作すら信じず、名前とキャラクターの殻だけを借りて造り直す。だったらなぜ、アニメ化と称するのか。
もっとも、『報いを受ける』とは口にしたくない。ただ、もっと生々しい報いはすでに動き始めている。商業成績と評判が、ゆっくりと幻想を剥がしていくのだ。
『CITY』の円盤が500枚強という数字は、市場の声だ。 『電氣目録』の第1話の映像がどれほど美しくても、物語が続かなければ、原作をめぐる騒動がブーメランとなって返ってくる。観客の京アニへの同情はまだ残っているが、『京アニ作品は間違いない』という時代の信仰は、もう揺らいでいる。